松尾鉱山で廃墟の写真撮りたいよう><って言ったら友人がいいぜ!!!って力強く連れて行ってくれたのでめちゃめちゃ感謝しています。すごい。本当に付き合ってくれてありがとう。行ってよかったです…。
※道路側からの撮影のみです。不法侵入はしておりません※
まずは八幡平アスピーテラインへ!
まずは仙台市から高速に乗り、岩手方面へ。八幡平アスピーテラインを目指します。
道の駅的なものに立ち寄りつつ、アスピーテラインに乗る。これをまっすぐ登って途中で曲がれば松尾鉱山住宅跡に着くはず……だったのだが、
松尾鉱山跡を通り過ぎて地熱発電所まで来てしまった。笑。神社もある。
せっかくなので神社でお参り。この道の奥に「赤沼」という沼があるらしい。一方で地熱発電所は配管萌えスポットでした。けむりがもくもくと湧いていて、すごく温かい。こ、この匂いは……温泉だ~~~!!
ちなみにこの発電所の辺りまで、公共のバスで来ることができるみたい。えっ、バスこれからあの坂登るの…???ヤバない……???というかどこに行くためのバスなの…???山越えするバスなにそれ怖い。
写真の建物は「御在所公衆トイレ」というらしいです。
※アスピーテラインは11月上旬~雪解けあたりまで閉鎖されるので、訪問を考えている人は時期に要注意!
松尾鉱山跡への行き方
アスピーテラインを上っているといくつかトンネルがあると思うんですけど、そのうちのとあるトンネル手前、細い脇道を左に曲がると松尾鉱山跡にたどり着きます。廃墟の情報を公開するのはアレかなあと思うので、ざっくりこのぐらいで許してくだしあ。多分ナビに松尾鉱山跡って入れたら「この道っぽいな?」と分かると思います。
ヒントは「学習院松尾校舎」と「学習院八幡平記念公園」。これを目印にしていくと、松尾鉱山団地跡につながる道路に入れるはずです。
「学習院八幡平記念公園」は、かつてここにあった校舎の跡地。
学校の授業だけではなく、運動部や文化部の合宿地として、また冬のスキー場の宿として利用されてきた校舎
いわゆる合宿用の別棟みたいな?公園はすっかり更地でもう何も残ってなかったけど……確かにこんな山奥なら、林間学校とかには良さそう。(ただクマもめちゃめちゃ出そうで怖かったっす)
松尾鉱山に到着
その記念公園から見晴らせる場所に、松尾鉱山緑が丘団地跡地があります。
鉱山跡地ってことで軍艦島と同じ雰囲気を予想してたんですが、それよりも寂しいというか、閑散としているというか……周りが山に囲まれているせいか、ちょっと閉塞的な雰囲気がありました。あと、団地のすぐ下に大きな沼(湖?)があってびっくりした。
※この池は「池塘」という、鉱山独特のものだそうです。
松尾鉱山の知識はほぼゼロで臨んだことを、今はちょっと後悔しています。この建物群のどこかに学校があるそうなのだが、それもわからなかった。軍艦島は身分の違いによって「高い場所」とか「潮の降らない場所」に住んでたりしたものだけど、やっぱり松尾鉱山も場所や高さによって身分が違かったりしたのかなあ。どうなんでしょうねえ。(調べなさいよ)
「北の軍艦島」
…とも呼ばれる松尾鉱山跡。現在は11棟のアパート群が、当時のコンクリづくりのまま残っています。
内部も結構面白そうだったのですが、装備があまりにも貧弱なので外側から眺めるのみで断念。こちらのサイトに詳細なレポートが有り、楽しませていただきました。
鉱山アパートの中央部。
この団地は一階で繋がっている。
雨に濡れずに他の棟に移動できたようだ。
やっぱ軍艦島っぽくなってるのね!?と思ってちょっと時代を調べてみる。
軍艦島との比較
19世紀末から1969年まで岩手県岩手郡松尾村(現在の八幡平市)に存在した鉱山である。主な鉱物は硫黄で、黄鉄鉱も産し、一時は東洋一の硫黄鉱山であった。
続いて軍艦島。
端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧西彼杵郡高島町)にある島である。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。しかし、1974年(昭和49年)の閉山にともなって島民が島を離れてからは、無人島である。
やっぱ時代はどちらも似ている…けど、松尾鉱山のほうが閉山が早い。先にピークを迎えて寂れてしまったのが、松尾鉱山かな。
最盛期の昭和20〜30年代には病院、小・中・高校、郵便局、会館などが完備された「雲上の楽園」と呼ばれ、従業員4,500人、ヤマの人口は13,000人に達しました。
ん!!!???住人数多いな…!!???軍艦島は「最盛期の1960(昭和35)年の住民数は5,267人。」だそうなので、倍以上……これはすごい。その割に閑散と見えてしまうのはどうしてだろう、建物が密集していないから、なのかな…。と思って更に調べると、一部の施設の解体が進んでいたそう。そうか、建物への落書きとか荒らしがひどくなりつつあるんだな…。てか廃墟でサバゲーするやつとかいるのかよドン引きだわ……お前が廃墟になってしまえ…。文化を……壊すな……!!!
11棟の家族寮
立ち並ぶ建物のほとんどが家族寮。
このため公団住宅が一般化する前から、水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリートによる集合住宅や小・中学校、病院、活躍している芸能人を招いて公演を催す会館など、当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市が形成され、「雲上の楽園」とも呼ばれた。
うーん、今の光景からは想像もつかない。
独身寮と平屋
ちなみに、この建物の群れのハズレに小さな長屋(一軒家?)と、これまた小さな集合住宅の廃墟がありました。これはどうして群から離れたところにあるんだろう。
一軒家の方は藪の中なので外からしか見られなかったんだけど、結構広そうな建物だった。うーん、一軒家を持てるほどのお金持ちだったのか、それとも平屋にいろいろな人が雑魚寝するタイプの住居だったのか、どうなんだろう。
平屋タイプの住宅も残っていた。
他にも木造の建物があったのだが、
消防のための燃焼実験で全て焼失した。
小さい建物の方は独身寮ぽいな~と思ってみていたんだけど、やはりそうらしい。
左手の窓に小さな仕切りが覗いているのがわかるでしょうか。これがおそらく…トイレですね…?
独身寮の向かって左手には地下に降りる階段がありました。それがどうやら共同浴場に繋がっているようです。うーん、たしかに軍艦島も地下に共同浴場があったなあ。どこも集合住宅の作りは共通しているのかしら。
まとめ
コンクリ造りの建物が11棟も並んでいるさまは、外から見るだけでも十分な迫力。軍艦島とは違う、ちょっと薄暗い閉塞感みたいなものにゾクゾクしました。どっちも高層住宅なのに、海の廃墟か、山の廃墟か、というだけでこんなに雰囲気が違うんだなあ。
ていうか
さあ 本当はさあ
本当は内部ももっと探検したかった……!!!!!
(駄目です)
まあ他の方のレポを見てると流石に老朽化が進んでいて、崩れやすくなっている箇所も多いそうなのでこっそり内部侵入しちゃうぜ!って人は安全靴必ず仕込んでいってね…。廃墟を舐めてかかっちゃ駄目だよ…。
アクセスは少々難があるものの、車さえあればばびゅーんと行けちゃう場所にあるので、東北で廃墟めぐりしている方には良いスポットかもしれません。私達が見ている間も、男性グループや中年のご夫婦など複数の人達が松尾鉱山を眺め、写真を撮っていました。こんなに人が見に来ているとは思わなかった。
次は桜の芽吹く季節に行ってみたいものですね。付き合ってくれた友人たち、本当にありがとうございました><