母を長崎旅行へ連れて行った(2)
おはようございます。とはいえ、君がこの文章を読むのは真夜中のことでしょう。メーデー、メーデー。そちらの残暑は厳しいですか。
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3日目。長崎旅行の朝は早い。今日は、旅行の最大の目的、軍艦島周遊ツアーへ。朝から曇り空で、しとしと雨が降っていて、上陸できるのかハラハラしていた。悪天候だと軍艦島への上陸許可が降りないのだ。
ツアー集合場所の長崎港ターミナルには、朝8時からそこそこ人が集まっていた。軍艦島上陸ツアーの当日券を買う人もいた。ツアーの参加者は、外国人や、年配の男女グループが多い。でも、修学旅行中と思しき中学生のグループと引率の先生もいた。そうか。いまは軍艦島に修学旅行で来られる時代なのか。中学生の頃、「廃墟エクスプローラー」と「廃墟本」を読み漁っては妄想を巡らせていた自分とは大違いだ。もう軍艦島は、気軽に会いに行ける存在なのだな。
海は時化ていたし、水平線の向こうには雲がかかっていたけど、船は予定通り出港した。
軍艦島ツアーは私が行きたいだけだから、別に来なくてもいいよと、以前から母に言っていた。私が廃墟を見て興奮を露わにする度に、「廃墟なんて気持ち悪い」と母はよく言っていたし。でも母は、知らない土地での一人行動ができないタイプの人間だ。なので結局、一緒に上陸ツアーへ参加した。もしかしたら、軍艦島に興味ない母にとっては暇な時間だったんじゃないかな。と思ったが、ボランティアの方のお話が面白くて、勉強になる内容が多かったので、母は母なりに楽しんでいたようだ。
小さな島に、歓楽街も映画館も神社もお寺も病院も学校も職場も共同浴場もぎっちり詰め込んだ籠の中の小鳥の楽園。4階から階段を伝って屋上保育園に行ったり、自宅を出たら一度も地上を歩くこと無く、渡り廊下だけを伝って学校へ行く日常があったのでしょう。まるでラピュタの話みたい。軍艦島には、箱庭的な面白さがある。
私はこのとき、色々なことが嫌になっていて、ずっとずっと遠くへいきたかった。遠くへ来てみたかった。だから長崎っていう、九州の端っこに来た。実は諸事情で母が旅行に行けないかも…!となった時期があったのだが、それでも一人でもここに来るつもりだった。いやだって、わたしいままで結構がんばった…と思うし。
がんばって、がんばって、一人で遠くに来たら全部忘れてどうでも良くなって楽になれるかもと思っていた。よくあるドキュメンタリーみたいな、「この旅で○○に出会って、人生観が変わったんです!ババーン!そして今は職人の道へ――!」みたいな出会いも少し期待していた。文章書くのを止めることはないかもしれないが。
でも、そんなテレビの中みたいな出会いはどこにもなかった。当たり前っちゃ当たり前だけど。でも旅の前って、少し夢を抱いたり妄想を膨らませたりするものじゃないですか。
はー。
軍艦島に来た。ため息が出た。
遠くへ来た。飛行機と電車とバスを乗り継いで、日本地図の下の方の、こちゃこちゃしたところの先っぽのあたりに来た。お金をためて、思い切って会社を辞めてここまで来た。でも、私がスマホを開けば、家で見ているのと何一つ変わらない画面がそこにあって。スマホとインターネットさえあれば、君は私にすぐ追いついてしまう。
私はこの現実から逃れられない。どんなに遠くに来たって、ネットさえあれば君は1秒で私に追いついてくる。いつもの場所から離れてみたって全然意味がない。
帰り道、靄に包まれて小さくなっていく軍艦島の姿を見つめていた。小雨の降る中、白人の女性が、わたしと同じくずっと軍艦島を眺めていた。船の甲板の上は、潮風でひどく冷えた。
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何はともあれ、お腹は空く。午後は来る。ツアーが終わったのは12時半頃。あと半日は遊べる。
昼ごはんはやはり、地元の人から人気だという海鮮定食屋へ行った。生簀の中を泳ぐ烏賊を見ながら、お店特製の明太子をこれでもかというぐらい頬張った。おいしかった。でも母は、「まあこんなものか」と思っていたかもしれない。明太子は食べ放題だったので、瓶詰めを1回、お代わりした。
そして長崎駅前まで戻って、バスに乗り換える。ペンギン水族館へ行くのだ。
ペンギン水族館は長崎市内のずっとずっと奥にあった。奥というより海沿い?分からない。とにかくバスで山を超えて、そこから坂をぐるぐると降りたところにあった。
周囲は住宅街で、飲食店もお土産屋も見当たらない。タクシーも通らなさそうな道だったので、帰りのバスの時刻をしっかし確かめてから入館した。ここは日本だし、言葉は通じるし、帰れないってことはないだろうが、知らない土地はやはり不安だ。
ペンギン水族館は思ったよりも小さかった。規模が小さくて時間を持て余してしまった。1時間半ほど見て、すぐ帰りのバスに乗った。16時前には長崎駅前に戻った。本来ならもう一箇所ぐらい観光して回りたいところだが、雨なので遠出する気にならない。電車とバスを乗り継いで行ける夜景スポットがいくつかあるらしいのだが、夜まで雨なので行っても意味がないだろう。
旅も3日目。疲れも溜まってきているだろう、ということで、駅ビルで駅弁とお惣菜を買い、デザートにいちごのタルトを買い、あとはホテルでダラダラした。友人と遊びに行ったときみたいな過ごし方をした。銭湯でもあればなあ。広いお風呂に入りに行ったのだけど。
ちなみに私が買った駅弁はおいしかったが、母が買った駅弁は美味しくなかったらしい。困った。この旅行で、母の口から「おいしい」という一言をなかなか引き出せないでいる。せっかく長崎まで来たのに。
母は職業柄、料理に詳しくて少しだけうるさい。やっぱりグルメなのだなあ。なんとか「おいしい」と自然に笑ってほしいのだが、難しい。
明日の予定を考えていた。晴れたら佐世保へ。雨だったら美術館でも見て回ろうとなった。せっかくなら佐世保までいきたかったが、何しろ長崎から遠い。行きは良くても、雨の中宿まで戻ってくるのが大変だ。最後の1泊だけ、佐世保に宿を取れたら良かったのだが、素人の旅行手配ではそこまで気が回らなかった。せっかくここまで来たのになあ。
また来ればいいじゃん、って思うかもしれない。でもどんなに五体満足健康優良児な人間だって、必ず明日生きているって保証はない。薄暗い話だけど、あの震災以来わたしの周りでは色々なことがあって、常日頃からそう思わずにいられない。仕事に追われてるときはそんなこと1ミリも考えられないけど……本当なら1秒だって無駄にせず、好きな人達と好きなことをしていたい。まじでほんとなら仕事なんてしたくないよ。わたしの人生はもちろん、好きな人達の人生だって有限で、いつ終わるかわかんないのにな。
ただ、ニートのときはニートなりに、頑張って働いている友人たちに引け目を感じては「社会に役立たないクズだなあ」と思って泣いたりもしたので、自分で自分がめんどうくさい。どっちやねん。やっぱり仕事せずに月30万円もらえる生活が理想すぎる。莫大ベーシックインカムカモン。
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すごい話が飛んだ。なんだっけ。ああ、佐世保に行けなかったって話だわ。そう、佐世保に宿を取れなくて、4日目が微妙なプランになっちゃった話。
でも今回の旅行の手配は、飛行機からプランからバスの予約から全て私がやっている。母は私に付いてきて、自分の交通費だけ払ってくれれば良いスタイル。うん、それはそれで、結構頑張ったんじゃないだろうか。自慢するのは嫌らしいので誰にも言ってなかったけど、素人ツアコンとしてはよく出来たほうだと思う。
湯船に入浴剤を入れて、ゆったりと使ってから寝た。旅先の疲れにはやはりバブが効く気がする。
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4日目。晴れたら佐世保のほうへ遠出しようと考えていたが、この日も生憎の雨。道路は混むだろうし、佐世保や雲仙に行くのはどうにもきつい、ということで美術館や長崎港周辺をぶらぶらすることになった。うう。佐世保の水族館行きたかったなあ。
午前中は新地中華街をさっと見て、唐人屋敷跡を巡る。新地中華街、思ったよりも小さくて二人でしょんぼりする。開店は遅いし閉店は早い。飲食店ばかりなのに、なんてホワイト企業なんだ。修学旅行生がお土産屋を冷やかしているぐらいで、あまり観光客はいなかった。
唐人屋敷跡は、古い住宅街の中に突然現れるからびっくりする。ここ、観光客が歩いて良い場所なのだろうか。大丈夫だろうかとビクビクしながら巡る。道中、カメラを構えていたら地元の人に声をかけられた。
「あなた!ここの階段上るときれいな写真取れるわよ!」「え、でもそこってお宅の敷地では」「いいから!ほら!」
せっかくのご厚意なので、ありがたく階段にお邪魔して写真を撮らせてもらった。赤くて大きな建物が媽祖廟(?)なのだと教えてもらった。媽祖信仰は地元の方に根付いているのだろうか。
ぶらぶらと港町の方まで降りてきて、出島へ行く。教科書でもおなじみの、あの出島だ。
正直、出島ももっと軍艦島のように色んなものがひしめき合っているのかと思った。全然そんなことなかった。思ったよりも小さくて、まじで見るだけなら30分もあれば十分だ。でも入園料をしっかり取られたので、その分は何か得ておこうと比較的じっくり見た。再訪はないな。修学旅行生が勉強がてら来る施設、という感じだった。邸宅のパーティーを再現したコーナーは、食品サンプルが豪華ですごかった。
あとはあんまり覚えていない。出島から長崎港はすぐなので、そのままランチへ向かうことにした。
お昼を食べる。海が見えるイタリアン。そこそこおいしかったけど、感動するほどでもなかった。あ、でも付け合わせて出てきたパンはおいしかった。やっぱりここにも修学旅行生がいて、ちょっといいランチを食べていた。お小遣い制、いいなあ。午後もたくさん歩くんだろうし、いっぱい食べなよ。母が子どもを見るときの眼差しは、優しい。
年齢を考えれば、私だって結婚して子供の一人ぐらいいたっておかしくない。母は子どもや赤ちゃんが好きだし、孫ができたらすっごく喜ぶだろう。それこそ、うちの場合は私の花嫁姿を見せて、孫を抱かせてやるのが一番の親孝行な気がする。でも、現在私に異性のパートナーはいないし、この先異性と結婚することも無いと思う。それだけが申し訳ない。
この旅行の1つの目的は母への親孝行だが、恐らく孫の顔を見せられない私の、罪滅ぼし的な意味合いもある。絶対に口にはしないけど、結婚しなかったらごめんなさい。
……それとは別に、20代のうちにひらひらふわふわのウェディングドレスを着ておきたい気持ちはあるので、ソロウェディング写真撮影大会をやりたい。賛同者がいたら宜しくお願いいたします。私は小柄で細いのでヒラヒラのフリルたっぷりの可愛いドレスが似合う自信はあります。
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はっ……また話がずれた。ランチを食べたところまで話したんだ、うん。
そのまま長崎県美術館へ。中世/現代のスペイン美術や長崎ゆかりの芸術作品が見られるらしい。でもわたしは美術に詳しいわけでもないので、常設展は30分もあれば見終わってしまった。本命は企画展だ。
「奇蹟の芸術都市バルセロナ展 ガウディ、ピカソ、ミロ、ダリ――美の巨星たちを育んだカタルーニャの煌めき」……名前からワクワクする。結論、この企画展に行ったのは正解だった。サンホラの「聖戦のイベリア」や、ヘタリア関連の影響で(私は親分子分とギル推しである)この地域の文化に興味があったので、どの作品も楽しく鑑賞できた。特に印象深いのは、四匹の猫(四匹の猫 - Wikipedia)関連の展示と、聖体拝領みたいな名前の少女二人の彫刻。うーん、名前を思い出せないので後で追記する。やはり母は退屈だったかもしれないが、雨で行くところも少なかったので仕方ない。
さて、午後からどうしようか。市内の観光地はほぼ見尽くしてしまった。とりあえずお土産を見るがてら、繁華街の方へ。私は下町的な景色が好きなので、長崎で一番古いというアーケード街を見に行く。
うむ、なかなか味がある。友人へのお土産に、長崎オリジナルだというコスメを買う。そしてもう一度眼鏡橋のあたりまで来たところで、母が「やっぱり、平和記念公園にも行きたい」と言った。
実は、長崎原爆資料館に行ったとき、「平和記念公園には行かなくて良いのか?」と言ったのだが、母は「別に良い」と言っていた。資料館からも少し遠いし、と。でもここに来て、せっかく長崎まで来たのだから、と思ったらしい。この旅行で、母が「ここに行きたい」と言うことは稀だったので、私はすごく嬉しかった。すぐ最寄りの路面電車停留所に向かった。
停留所で電車を待っていると、年配の男性に「観光ですか?」と声を掛けられた。地元の方らしい。長崎の人々、観光客にめちゃめちゃ慣れている。東北から来たんですよという話をしたら、「家内の実家が東北なんですよ」と仰るので、そこそこ話が盛り上がった。もう帽子をかぶっていたことぐらいしか覚えてないけど、旅の思い出をありがとうございました。
平和記念公園は、季節の花が咲き、噴水があり、野良猫がいる、きれいに整備された公園だった。そしてやはり、修学旅行生がいた。今回の旅行、私が行く先々に修学旅行生がいる。組織からの刺客か。さすが観光王国長崎である。
記念写真を撮り、お祈り(というのが正しいのだろうか)をして、猫を眺める。
外国人観光客が多かった。でもそれ以上に、普通に遊びに来ている親子連れがいっぱいいた。花を摘む子、噴水にではしゃぐ子、ベビーカーですやすやと眠る子……みんな自由だ。
千羽鶴の横に並んで、私たちの日常が続いている。どんな悲惨な出来事があっても、歴史は断絶しない。ドームの鉄筋だけが残ろうと、焼け野原になろうと、そこに奇跡の一本松しか残らなくても。ミルフィーユみたいに一人ひとりの祈りを重ねた先に、平和な日常がある。ここは祈りの場でもあり、憩いの場でもあるんだな。
長崎にいるのに、わたしはずっと震災のことばかりを考えていた。
路面電車に乗って、長崎駅前まで戻る。駅ビルのレストラン街に行き、レモンステーキを食べた。佐世保の名物らしい。海鮮多めのスケジュールだったから、最後の夜は肉でも食べよう、となったのである。レモンステーキは肉が柔らかくておいしかった。このお店で、母がようやく「おいしい!」と顔を綻ばせた。「こんなに美味しいなら、毎晩ここでも良かった」というぐらいお気に召していた。毎晩来られなかったのは残念だが、母にひとつでも美味しい思い出ができたなら、良かった。
そのあと私は一人でカフェバーウミノに行き、念願のミルクセーキをたいらげた。ミルクセーキ、もっと可愛らしい飲み物かと思っていたが、ここのセーキはガッツリめだった。あと知覚過敏には少々辛かった。
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長崎最後の夜が、これで終わった。
……わけではない。まだ夜の8時だ、悪足掻きできる。母を一旦ホテルに送ってから、路面電車に飛び乗る。これ、何時まで運行してるんだろう。まあ夜の10時ぐらいまではやってるよね、と終電も確認せず、長崎港に降り立った。夜の海を見てみたかったのだ。
長崎港は静かで……海沿いに飲食店が並んでいるので、そこからたまに笑い声が聞こえたりする。でも、基本は波と風の音ばかりだ。入港する船の明かりが水面にすうっと写り込んで、光の帯を編む。空は曇り空でも、海は透き通っているので、光が反射するととてもきれいだった。
途中、一人で歩いている男の人に不審そうにチラチラ見られたりした。女ひとりが海沿いに立っているので、なんかアレな状況なんじゃないかと思われたのかもしれない。大丈夫です、そういうつもりじゃないです。写真撮ってるだけなんです。
一通り歩いて満足したので、また路面電車に乗って中華街へ行く。母と一緒だったら、「女の子一人でそんな外に出るものじゃない」と咎められたかもしれない。でも、もう少し長崎の夜にいたかった。ホテルに戻るのが惜しい。
中華街にはすぐ付いた、が、もう通りは真っ暗だった。派手に光る電飾を写真に収めたかったのだが、夜9時を過ぎるとどの店も暖簾を片付け、店仕舞いをしていた。残念。ただ、これはこれでエモーショナルな写真が撮れたかもしれない。
ホテルに戻って、お風呂に入って、荷造りをして寝た。ふかふかの大きなベッドとも、今夜でお別れだ。やっぱり佐世保に行きたかったなあ、という後悔がぐずぐずしていた。
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5日目。旅行最終日。仙台に戻る日。早起きして長崎―福岡の高速バスに乗る。長崎の高速バスターミナルは、盛岡バスセンターにもよく似た、年季の入った古い建物だった。でも福岡行のバス乗り場は、トイレもベンチも建物もリニューアルされていてとてもきれいだった。な、なんだこの差は。
今度は福岡までのノンストップだったので、あっという間に福岡駅についた。とはいえ、ついたのは11時過ぎ。ここで昼を食べて、ちょっとだけ観光して博多空港へ行く。
まずは福岡駅で降りて、博多ラーメンを食べる。並んだ割には、というか、期待したほどおいしくなかった。悲しい。愛媛のアーケードで食べたとんこつラーメンのほうがおいしかった。あのラーメンをもう一度食べたい。
ついでに住吉神社近くの庭園に寄ったけど、300円払った割に大したこと無くて悲しい。見た目よりも超狭いし、なんか庭木の剪定もあまりされていないようでボサボサな印象を受けた。最後の最後でちょっと残念だったが、まあ、知らなかったので仕方がない。
歩いて住吉神社に行く。広くて、お社もいっぱいあってそこそこ楽しめた。無料で入れる住吉神社のほうがよっぽど楽しめた。
そして福岡駅へ戻り、地下鉄に乗って博多空港へ。主要駅と空港が近いのはとても便利だなと思った。仙台空港、駅からはちょっと遠すぎる。
初日にきちんと見て回れなかったのだが、博多空港は広くてお土産屋もたくさんあった。せっかくなのでおいしい明太子をおみやげに買い、九州限定のジャガビーも買った。ジャガビーは絶対にハズレがないからだ。
いきなりの天候不良や交通遅延が怖いので、念の為、念の為と余裕を持ったスケジュールで進めてきた。が、少し余裕をもたせすぎた。空港で1時間半ほど時間を潰し、ようやくチェックインの手続きをする。いよいよ九州ともお別れだ。名残惜しいけど、早く家に帰りたい気もする。
よく、「旅行でこの街に一目惚れして、移住しました!」っていう人がいるけれど、わたしは今回当てはまらなかったらしい。ほどよく、そこそこ、仙台に帰りたいなあという気持ちが滲み出てきた。
最終日の福岡は、比較的よく晴れていた。16時台の便だから、仙台に着く頃にはもう夜だ。夕焼け空をわたって帰路につく。雨の日も多かったし、グラバー邸は工事中だったし、佐世保にも行けなかったけど、良い旅行だったなと思った。
たったひとつ、残念なこと。母の写真はたくさん撮れたが、私と母が一緒に映る写真が1枚しか無いこと。帰ってきてから気付いた。
たった1枚の写真は、グラバー邸で写真撮影サービスがあるということで撮ってもらった写真。手のひらサイズの写真は無料で、2L版の写真は1200円かかるという、まあ観光地でお決まりの商売だ。1200円も払って…と正直思ったが、とても明るく綺麗に撮影してもらえていたので、気に入って買ってしまった。撮影してすぐにフォトショ修正でも掛けているのだろうか。とにかく、今見ても、よく撮れていると思う。母はこの写真を気に入って、スマホの待ち受け画面にした(いというので私が設定してあげた)。
その写真を眺めながらこの文章を打っている……というオチまで考えたが、あまりにも出来すぎなので止めておく。現実に戻ってきた。私は今日も変わらず社畜だ。早く次の旅の予定を立てたい。
総括。良い旅だった。母もそう思ってくれていると良い。