20230311
名取の震災メモリアル公園へ行く。仙台から東北本線に乗って20分。名取駅まで。
そこから市内を循環するバスに乗る。
7年前に訪れたときはまだ復興のさなかで、なとりん号の経路も今とは違ってた。
私の記憶が正しければ、閖上中学校だか、小学校だかの廃墟の近くのバス停が最寄りバス停だった。
そこから先はまだ整備中で道が整ってなくて、バスが乗り込みできなかったんだ。
慰霊碑まで、最寄りというにはあまりに遠くて、徒歩で30分ぐらい歩いたと思う。
2016年にここを訪れたとき、そのバス停の近くにあった看板。今も残っているんだろうか、わからない。
これは2016年の写真。
あの頃は、バス停を降りたらもう一面こんな感じで建物一つも立ってなかった。
ただ流された広い土地と、アスファルトの道が延々と続いていた。
いまはすっかり道路が整備されて、なとりん号のバス停も増えて、メモリアル公園までバスで行けるようになった。名取駅から36分掛かるけど、徒歩だと1時間半ほど掛かるのでずっと楽だ。
これが2016年、
そしてこれが2023年。私の記憶が正しければ、同じ場所。
2016年に工事されていた場所は、こんな立派な堤防になっていた
2016年に来たときは全然人がいなかったけど、今年の閖上は車でたくさんの人が来ていて、駐車場もいっぱい埋まっていた。
どうしても行きたい場所があって、そこで14:46を迎えた。今日は日差しが暖かくて、風も凪いでいて過ごしやすかった。サイレンの音が響いて、緩やかに伸びて、水面に溶けていく。
献花はすごく混んでいたからやめた。
犠牲者の名前が刻んである碑だけ見たくて、脇道からそっと碑のほうへ回り込んだ。
どうしたことだろう。
名前を見つけるまでにしばらくかかった。一度来ているはずなのに。うろ覚えの住所を頼りにひとつひとつ目で追った。
ああ、あった。
名前を見つけて、何を語りかけるでもなくそこに立っていた。沢山の人が入れ替わり立ち代わり、碑の名前を見て、写真を取って、名前を愛おしげに撫でていた。
私も刻まれた名前に触れたかった。でも触れていいのかわからない。私はいますごい自己満足の気持ちだけでここに来ている。触れていいのは私ではない。たぶん、なんとなく。
嫌われていなかったと思う。たぶん好きでいてくれた。でも触れていいのは私ではない気がした。
どうする?
触れておきたい。でも、なんとなく違う気もする。それはエゴみたいな。
でも、次いつここに来れるかわからない。また7年後とかになるかもしれない。そうしたら私、このあとの7年間を「あのとき、名前に触れておけばよかった」ってずっと後悔するかもしれない。
それはすごくつらいな、と思って。人が途切れたところで一歩踏み出した。刻まれた名前へ手を伸ばした。背の低い私、少し背伸びをしないと届かない高さ。
冷たいと思って触れた黒くて大きな碑は、西日に照らされてほんのり暖かくて拍子抜けした。まるで手を握ったときみたい。包み込むような温もりと、すべすべとした触り心地。手を繋いだ日のことを思い出して、ちょっと泣いた。
もう12年だ。