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母を長崎旅行に連れて行った(1)

会社を辞めてニートになった春、貯めに貯めていた(とはいえ少額だが)貯金をはたいて、母を長崎旅行に連れて行った。

エイチ・アイ・エスの飛行機とホテルのセットプラン。仙台から博多空港までの往復便と、長崎市内のホテル4泊分がセットになってるやつ。4月のド平日だったからか、料金は二人で11万円ほど。1人辺り5万円弱で飛行機+ホテル4泊って、かなり安いのではないだろうか。なお飛行機が超絶苦手な母のため、航空会社は大手を選んだ。自分じゃ絶対選ばない高級ブランドだけど、これは自分のためだけの旅行じゃないので仕方ない。

仙台から博多までは1時間半ぐらいだっただろうか。あっという間だった。博多空港はなんかごちゃごちゃしているな、というのが第一印象だった。後から考えるとごちゃごちゃしていたのは一部だけで、本当はもっと広くてスタイリッシュな空港だったのだが、最初に見たのが外国人観光客でごった返すお土産屋、だったので仕方ない。あそこで売っているいちご大福は果たして美味しいのだろうか。

初日の昼は博多空港でうどんを食べた。関西を通り越して、九州のうどん。コシがあって美味しかった。

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西の方ってうどんうまいよね

そのままシャトルバスに乗って太宰府天満宮に行った。思ったより混んでなかった。境内内は広くてきれいだった。おみくじを引いたら大吉だった。当時ニートだったが,「良い仕事が見つかる」と書いてあった。でもいまやってる仕事は正直クソみたいな待遇と環境なので、コレを機にさらに転職しろってことなのかな。よくわからない。ちなみに去年の夏からおみくじを引くととにかく大吉が出ていたのだが、これを境に大吉が出なくなっている。やはりそういう時期ってあるんですかね。

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流石に立派な神社だ

橋の袂で一眼レフを構えていたら、若い白人の女の子にスマホを手渡され、「写真を撮って欲しい」と声を掛けられた。英語で。高校の英語の得点は良かったほうだが、英会話になるとてんで駄目なので超焦った。カタコトで「3,2,1,はいcheese!ワンモア!」と言ったような気がするが覚えていない。良い旅を!とか一言を言えたら良かったのだが、何も気の利いた言葉は言えなかった。私はいつもこうだ。

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お休み処

お参りの後は参道近くにある喫茶店に入った。レトロで瀟洒な建物で、喫茶店好きな私には最高の物件だった。レアチーズケーキがおいしかった。

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おすすめです

そこからバスに乗って博多空港へ戻り、長崎行きの高速バスに乗る。福岡から長崎までは2時間半程度。各停みたいなのとか色々あるんだけど、スーパーノンストップに乗ると早いらしい。でも時間の都合で各停みたいのに乗った。長崎まではすごく長かったし、遠いなと思ったし、道中廃墟だらけの道を通ったので怖かった。途中で立ち寄った「嬉野バスセンター」は昭和のまま時が止まっているかのようだった。きさらぎ駅が頭をよぎる。

 

とりあえず1日目の夜はホテルにチェックインして、ご飯(インドカレー)を食べて終了。見知らぬ街のインドカレーは母に不評で微妙な終わり方。

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めっちゃ甘かったバターチキンカレー

母と私は食の好みがあまり合わないので、こういうときは少し困る。例えば、ラーメンなら私は豚骨とかのこってり系が好きだけど、母は米沢ラーメンみたいな淡白な味を好むのだ。一緒に暮らしていく上で、食の好みが合うかどうかというのはやはり重要な事項だと思う。家族でも、恋人でも。とはいえ母の料理はめっちゃ美味しいのでわたしは好きです。

ホテルにチェックイン。ホテルは普通なら1泊1万円以上するちょっといいところ。ツインの部屋を取った。部屋がきれいなのはもちろんだが、何よりバストイレ別だったのが良かった。お風呂とは別に洗面所がついてたし。二人で泊まるとなると「いまトイレ入っていい!?」みたいなこともあったから…。これ、かなり大切だ。次からもバストイレ別のホテルがあったらなるべくそっちを選びたい。見慣れない、長崎の天気予報を見ながら就寝。ああ、ようやく長崎に来たんだなあ。

 

 

2日目。この日はスタンダードな長崎観光。グラバー邸から大浦天主堂、原爆記念館を見て回る。夜は稲佐山展望台へ行く予定だ。路面電車の1日きっぷを買って、フル活用した。

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路面電車コスパが良すぎる

まずは路面電車に乗り大浦天主堂方面へ。

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マリア像

良かった。良かったの一言に尽きる。私はクリスチャンでも何でも無いが、薄暗い建物の中に柔らかなステンドグラスの光が差し込むと、おお 様々な幸せを砕いて 祈り疲れ漸くあなたに会えたのだから……というサンタマリアな気分になる。

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天気もよく旅日和であった


とかく、この教会の魅力は百聞は一見に如かずというほかない。もし長崎にまた来ることがあったらぜひ再訪したい。そして誰かが長崎に行くというのなら、絶対におすすめしたい。

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んべっ。

続いてグラバー邸へ。入園から早速エスカレーターとかいう文明の利器に遭遇し、なんかイメージが違うな、と思う。

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今やすべてエスカレーターの時代

しかも私が行った時はグラバー邸が改修工事中で見られなかった。なんてこった。仕方ないので他の施設と庭園を見て終了。庭から見た長崎港の景色はきれいだった。色とりどりの花が咲き乱れ、実に良い季節に来ることができたなと思う。どこか遠くに旅行するなら、やはり春が良い。

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穏やかな海だった

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工事中のグラバー邸、逆にレアなのでは?(ポジティブ)

お昼はちゃんぽん発祥の地、四海樓へ。

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昔ながらのちゃんぽん

まあ長崎に来たなら食べておかなきゃかなと。味は……うーん。個人的には1回食べたらもう良いかって感じだった。母も同じことを言っていた。東北人だからかな。なんか慣れない味付けだった。

路面電車を乗り継いで、浦上天主堂へ。

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浦上天主堂

ここも、良かった。というか、個人的には大浦天主堂よりも浦上天主堂のほうが好きだ。ミサのとき以外は明かりをつけないため、堂内は薄暗かった。しかし、ステンドグラスの青い光がゆらゆらと差し込んで、私たちは深海を泳ぐ魚のようだった。中にはほぼ入れず、入り口から内観を眺めるだけだったので物足りなさはあったが、大浦天主堂よりもマイナーなためか観光客も少なく、静かで良かった。

その後、坂を下った先にあるフルーツパーラーで一休み。母はスイカを、私はイチゴのゼリーを食べた。母は果物が好きで、特にスイカが大好きだ。若い頃、熱を出してうなされたときに「スイカを食べたい」と言ったら、母の母(つまり私の祖母)がど田舎の町を駆け回って季節外れのスイカを買ってきてくれたことがあると。そのときのスイカの甘さが忘れられないと、前に語っていた。

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4月のスイカなんて、美味しかったのだろうか

祖母は、慈愛に満ち溢れた人だった。人のことばかり考えている優しい人だった。そんな祖母らしいエピソードだと思う。もっと早くこの話を知っていれば、祖母にも当時のことを尋ねられたのに、今は母の口から聞くことしか出来ない。

年々、こういったことが増えていく。「もうあの人に聞けない」という後悔は、苦い。

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日本茶もおいしかった

長崎原爆資料館へ。これは母の希望した観光地の1つである。

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エントランス

そもそもなんで長崎旅行かというと、私が軍艦島に行きたいってのも大きかったが、母の強い希望もあった。実は母の誕生日は、長崎の原爆記念日。それがどういうことなのか、私はよく分かっていなかったが……。東日本大震災のあとに、3月11日生まれの人がどのような思いでいたのか、というところを考えると、ああいう、祝ってもらいづらい雰囲気があったのか、とは思う。

自分には関係のない出来事でも、どうしても誕生日と悲惨な出来事が結びついてしまう日付。ましてや母の幼少期なんて、戦後すぐの時代だし(母は1950年代生まれである)。今のように「あれはあれ、それはそれ」という考え方ができる人も……いただろうか。どうだろう。私は少なかったんじゃないかと思う。

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セントポール通り

長崎原爆資料館の白いエントランスに立つ。「ついに来たなぁ」と母は言った。

私は二十歳の頃に広島へ行き、そこでも原爆資料館を見ているので、これで世界中にある原爆資料館をコンプリートしたことになる。こんな小さな国の2カ所を巡るだけでコンプリートできるなんて、すごい。そして、なんか変な気持ちになる。戦争を知らない世代だから「どうしてこんなことしたんだろう」って思うけど、その感想はあまりにも軽すぎるし。

やっぱりどこか、震災に似たものを感じる。展示されている、熱でひしゃげた弁当箱には少女のクラスと名前が書いてある。破れて、血で汚れた服にも誰かの名札が貼ってある。それはナントカ町の三丁目に住んでいた○○さんなのだという。「2万人が亡くなったという事象ではなく、1人が亡くなった事象が2万件あったのだ」というビートたけし氏の言葉を思い出す。

広島の平和記念公園に行ったときもそうだが、外国人観光客が圧倒的に多いな、と思った。別に強制するつもりはないが、やはりどこかで「一度見ておきたい」と考えている方がいるなら、現地に足を運んで見てほしいと思う。被爆国だから、日本人だから、とかそういうことじゃなく、

戦争を知らない人間の一人として。

その後は長崎のアーケード街をぶらぶらしたりした。アニメイトを見た。百貨店のパン屋でパンを買った。

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修学旅行生がたくさんいた

めがね橋も見た。

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台湾みたいだな、と思う風景が多い

夕方を待って、稲佐山展望台へ上った。

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数年後、モノレールが通るらしい

日本三大夜景の一つと言われる、稲佐山からの夜景。100万ドルの夜景とかいうらしいけど、100万ドルってどのくらいの額なのかピンとこない。分かりやすく「5000兆円の夜景」とか言ってほしい。あのフォントで。

冗談はこんなところにしておいて、稲佐山からの夜景は、素直に「綺麗だ」と思った。

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実物はこの5000兆倍綺麗ですよ

街の明かりが海の水面にキラキラと反射して、美しい。葉加瀬太郎の曲が稲佐山展望台のイメージソングになっているらしく、壮大なテーマ曲が電波塔を通して披露された。

夜景はとってもきれいだったが、一眼レフには思ったように映らない。写真って難しい。私の見たもの全てをスクショできる機能がほしい。プリントアウトして、君に見せたい。

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空の上からこそ、きれいに見えているかもしれないね

 

夜ご飯は長崎の地元民からも人気の海鮮居酒屋へ。刺身が美味しかった。

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おすすめです

やっぱり、太平洋の海沿いとは品揃えが違う。港町出身の母においしい海鮮を食べてほしかったのだが、どうだろう。美味しいと感じてくれていたら良いが、母は海鮮に関して超絶舌が肥えているので…「まあこんなものか」と思っていたかもしれない。

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もはや何の魚だったかも覚えていない。

長崎の夜は、潮の匂いに路面電車の音が響く。坂の上には小さな集落があって、ぽつり、ぽつりと灯が消えていく。凪いだ街だと思った。

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遠く、淡く光る


 

 

長いね。長いな。でも旅行の間はほんとうに一瞬だったんだ。新しいものを見ているときって、どうしてあんなに直ぐ時間が過ぎてしまうんだろうね。とにかく今回はここらへんで、一度切ろうか。凪の中でおやすみなさい。