【長崎】大浦天主堂でマリア像に思いを馳せる卯月の昼
続いて長崎旅行の話。長崎観光にて大浦天主堂に行きました。私はキリスト教信仰ではありませんが、幼稚園がミッション系?というか、キリスト教だったので、幼い頃からその存在は身近でありました。まあ家はガチガチの仏教で毎日仏壇を拝んでいるわけですが。
★一度は行っておきたい教会建築
★教会内は撮影禁止
★4月のツツジの時期が綺麗
幼稚園の頃にキリスト教(というか旧約聖書の話)をたくさん聞かされてきたので、幼心ながら悪いことをしたら地獄に落ちると思っていたし、亡くなった親戚は天国に行くと思っていたし、「父親が毎日働かなきゃいけないのはアダムのせい」という話を聞いて「あのアダムとかいうクソ男はなんてやつなんだ!!!リンゴぐらい我慢しろ!!!」と思っていた時期もあります。今考えてみると、いたいけな幼稚園児にあんな過激な絵を見せて本当に大丈夫だったんだろうか。
なんて話はどうでもいいっすね。大浦天主堂の話をしましょう。
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大浦天主堂といえば国宝指定の教会建築物なわけですが。教会内は神聖な場所……ということで、礼拝所などの部分は撮影禁止。外観のみ写真を撮ることができます。
大浦天主堂は、我国の洋風建築輸入の初頭を飾る代表的な建築物です。
1933(昭和8年)年1月23日、文部省により国宝に指定されました。原爆による損傷の修復が完了して後、1953年3月31日、文化財保護委員会によって、国宝に再指定されています。
ちなみに、拝観料は1000円。正直なかなかの強気価格だな^^と思ったのですが、教会内の見どころが結構ありまして!!ハマる人は2時間ぐらい余裕で過ごせるのでは…?と思いました。私も教会併設のキリシタン博物館と合わせて、1時間半ぐらいいたかな?
写真がないので大変伝わりづらいのですが……天主堂の中が、すっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごくきれいなんですよ!!!柔らかな!!!春の光が!!!ステンドグラスで色づいて!!!
今回行ったのが4月だったので太陽の光も穏やかで、天主堂の中も暖かくてすごく過ごしやすかったんだけど。夏は夏で涼しげで良さそうだし、冬の天主堂も見てみたい。
ところでつい「天主堂」と言ってしまうのですが、現在は普通に「教会」と呼ばれているらしいです。
天主堂という呼び方は、現在ではあまり使われていません。教会という呼び方が一般的です。
それでは、何故、大浦天主堂と呼ばれるのでしょうか。それは、大浦天主堂正面に書かれている「天主」という言葉から来ています。(中略)戦争前に建てられた教会は天主堂と呼ばれており、文化財の指定時に天主堂と掲載されたため、通称「天主堂」と呼ばれています。
外からだとよくわからないんだけど、中から見るとこのお花のステンドグラスがとっても綺麗だったんだよな~。写真に収められなかったのがくやしい。でも神聖な祈りの場ですからね、シャッター音カシャカシャやるのは良くないっすよね。
ステンドグラスとは、染められたガラスを意味します。色彩を施したガラスを種々に切り、鉛で接合して絵画や模様などを組み立て、窓や欄間などの装飾に用いられます。別名、モザイクやペインティンググラスとも言います。
(中略)
天主堂内には、正面祭壇奥に『十字架のキリスト』像(幅1.5m・高さ3m)が掲げられています。これは、1865年天主堂の建立を記念して、フランスのマン市のカルメル修道院から寄贈されたものです。
ずっとマリア像だって思ってたんですが、正しくは「日本之聖母像」と言うそうです。
この像は、「日本に数多くの潜伏キリシタンたちがいた」というニュースが全世界に伝えられた際に、フランスからその記念として贈られたものです。プティジャン司教は1867年の6月2日に、天主堂の門前へこれを据え付け、日本信徒発見の記念式典を盛大に催しました。その後、天主堂の改築に伴い、聖堂が2倍の大きさに広げられた際、現在のように入口正面へ移されました。
こういうのを見ると、長崎らしいというか…東北にいてもなかなか見ない光景なので、土地の文化の差を感じますね。
とってもきれいな教会なんだけど、変に格式張っている感じがしない雰囲気が印象的でした。これも人々の信仰が染み付いているのか、日本の土地に馴染んでいるのか、その理由はわからないけど。
あと豚…タヌキ?のような生き物のベンチが敷地内にあったんだけど、これがキリスト教信仰と果たして関係あるのかどうかが今もわからないままで気になっています。
誰か教えてくれ。