※最後に男色の話が入ります ご注意ください
※覚え書きの殴り書きなので恐らくミスが散見されます ぜひご自身で博物館に行って事実を確かめてきてください(メモ取る余裕なかったのですみません……こんな感じだったよと話半分に読んで下さい)
日本史についてはBASARAとかいこの知識しかないにわかオタクなので

うっかり戦国4コマ かいこ (3) (ウィングス・コミックス)
- 作者: 久山ちず
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2012/11/23
- メディア: コミック
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1時間半もあれば見れるかな?と思ったけど全然足りなかった にわかでもめっちゃ面白かったです
書状や屏風などじっくり眺めたい展示物がたくさんあるので、少なくとも2時間、余裕があれば3時間見積もっておいた方が良いと思います 特にガチ勢はいくらいても時間が足りないと思う。とりあえず1周して、博物館のレストランで飯食って再入場したら良いと思う。
色々気になったエピソードはあるんだけど、特に印象に残ったいくつかの話を書きなぐっておきます
- 柳生宗矩と伊達政宗はマブダチ
- ていうか政宗の手紙ありすぎ
- ていうか資福寺移動しすぎ
- 政宗おしゃれすぎ
- お茶といえば千利休ですが
- あと伊達政宗って結構文化人で
- 政宗手書きの献立表
- 刀も結構あったな
- 小十郎について
- 伊達政宗の男色の話
- 仙台の話
- …という感じに
柳生宗矩と伊達政宗はマブダチ
最近FGOで実装された柳生のじいちゃん、
実は伊達政宗と若い頃からの友人だったらしい。政宗のほうが4歳年上で、柳生のじいちゃん(別にそのときはじいちゃんじゃないんだけど)の石高が低いうちから付き合いがあったんだと。
伊達政宗「お前んトコの酒うまいね」
柳生宗矩「だろ」
伊達「イイコ紹介してよ」
柳生「任せろコイツだ」
↑又五郎は伊達家の「御城内定詰御酒御用」として召し抱えられ仙台の酒造りにかなり貢献した
というやりとりがあったりとか
政宗が江戸を離れるタイミングで「俺もう江戸出なきゃなんだわ、じゃあな」って手紙を柳生にわざわざ送ってたりとか すごい 二人はマブダチスプラッシュスターって感じ。ネットで調べたけど上のお酒の話しか出てこないので良いネタ持ってる人は教えてください。
ていうか政宗の手紙ありすぎ
もう展示物の2つに1つは手紙なんじゃないの???ってレベルで書状の展示が多い。しかも政宗が書いたやつめっちゃ多い。戦国時代ってみんなあんなに筆まめなの???
政宗が義姫ママに書いた手紙とか、輝宗パパが政宗に書いた手紙とかあって結構手紙のやり取りしてたんだな~と家族のつながりを感じました
あと政宗が母から殺されそうになったときに、母には刃向かえないから弟を殺したってエピソードがあったんですが、今回の展示では「実は弟は殺されていなくて、こっそり出家したという説もある」って解説があって少しホッとしました……そうだといいな……最近はその政宗毒殺説そのものが創作なのでは?という考えもあるようです
ていうか資福寺移動しすぎ
仙台には資福寺っていう紫陽花寺があるんですけど、
fregrantedolive.hatenablog.com
このお寺実は伊達政宗ゆかりのお寺だったそうで。輝宗パパが虎哉宗乙(伊達政宗の先生として有名)を招いて住持にしていました。
で、伊達氏の移動にともなってもともとは現在の高畠町にあったのが天正19年(1591年)に岩出山、慶長5年(1600年)に仙台谷地小路(仙台市東六番丁)、寛永15年(1638年)現在地に移転したのだと。えっあのお寺もともとは高畠町にあったんだね…奪ってきてゴメン……ていうかお寺移動しすぎ!檀家とかどうすんだよ!と思ったけどどうしていたんでしょう、跡地として何か残したりするのかな?
政宗おしゃれすぎ
展示物の中にすごい長い煙管があって、これマジ?と思ったけどマジでした
政宗愛用の煙管の中には70センチのものもあったそうです
おしゃれだけど邪魔じゃね?いやそれがおしゃれなのか?
あと私物の茶杓(っていうの?お茶っ葉をすくうやつ…茶さじ?)も展示されてたんだけど、それは政宗公が手作りしてました。器用かよ。器用だった。
お茶といえば千利休ですが
伊達政宗って千利休と一度会ってるんだけど、その会った9日後に千利休は秀吉に命じられて自刃するんですって。えっ。秀吉公の前でご機嫌取りのためとは言え「千利休のお茶飲んでみたいっすね」と言っていた政宗。ギリギリ会えて良かったというべきか、もっと早く会っていればというべきか……
あと伊達政宗って結構文化人で
お茶だけじゃなく和歌も嗜んだそうです。島津義久みたいですね。「絵師が絵を書き、そのスペースに伊達政宗が和歌を書いた屏風」ってのがあって、それが結構印象に残ってます。
ちなみに政宗の名前って伊達家9代目の「政宗」って人から取った名前なんですって。この9代目政宗もなかなか輝かしい功績を残した人らしく、それに肖ってほしい云々。政宗って生まれたときからかなり期待されていたんですね。
政宗手書きの献立表
伊達政宗手書きの献立表もありました。政宗って結構料理に凝っていたという噂は聞いてたんだけど、いやマジでかなり凝ってました。1日30品目とか余裕でしょってレベルで品数多かった。少量のおかずを品数多く食べているところに、健康食への取り組みを感じました。あと詳しくは見てないんだけど「伊達政宗が明日の朝餉を共にするよう部下に送った手紙」みたいなのがあって、そんなのも手紙でやり取りしてたんだなと。直接言えよとか思っちゃうけどそこは身分の差があるから難しいんかな。いやでも朝餉一緒に食べるなら早めに知らせてほしい…よね…緊張しちゃうじゃん……
そういやメニューに「ひばり和え」ってのがあって「ひばり食ったの!?」と思ったけどそんなことはなかった。そら豆の和物だそうです。
刀も結構あったな
私は刀剣女子じゃないけど刀も3振り……4振りかな?ありました。小十郎が大阪夏の陣で使ったという刀もあって、刃毀れしてました。めっちゃ使ってますやん……と思って少し背筋がゾッとした。
小十郎について
片倉家については、片倉小十郎景綱・重綱両方共いろいろなものが紹介されてました。全体的に「片倉小十郎景綱はすごく頼りになった参謀」ってイメージを受けました。「えっあれもこれも景綱のおかげなの!?景綱いなかったら伊達家どうなってたの!?」ってキモチ。でも親子2代で伊達政宗に仕えたって、なんか浪漫がありますね。
あーそろそろ記憶途切れてきたぞ。あとなにあったかな。
後藤又兵衛の甲冑があったんですよね。ふさふさしてました。伊達成実の甲冑もあったんですよね。(主に前立てが)ふさふさしてました。なんか、甲冑とか兜ってみんなふさふささせてるんですね。熊の毛とヤクの毛を使ってるって書いてありました。ふさふさしてました。
旗も展示してありました。日の丸と、勝色の旗と、鐘が描かれた片倉景綱の旗。あ、全然関係ないけど仙台市地下鉄(東西線のみ?)の座席の色って伊達政宗の旗の色だそうです。東急リバブルが言ってた。
伊達政宗の男色の話
それで最後にっていうかぶっちゃけこの話がしたかっただけなんですけど。
伊達政宗、結構酒癖が悪かった(というか酒にまつわるアレレなエピソードが多い)らしいです。
で、政宗が可愛がっていた小姓がいたんだけども、あるとき「小姓が浮気してる」って密告受けたそうなんですね。そしたら政宗、お酒の席で酔っ払って小姓に絡み
「お前なんか浮気してるらしいじゃん?💢」
と問い詰めたと。でも翌日その小姓が
「んなわけねぇだろ💢💢💢(※意訳です)」
と自らの腕を傷つけて潔白を証明。メンヘラかそれを信じた政宗は、自分も体を切って
「だよね(´・ω・`)あんなこと言ってゴメン、俺たちまたやり直そ?」
と血判状を作り愛を誓い合ったそうです。展示の解説文には「また睦み合おう」みたいな訳が書いてあってなるほど睦み合っていたんですね…とニヨニヨしました。仲直りの方法が血判状ってすごい激しい。でも良かった!ハピエンだ!!!ハピエン厨で良かった!!!
仙台の話
仙台ってもともとは「千代の国」みたいな意味で「千代(せんだい)」と書いていたのだけど、伊達政宗が「仙人のいる高台」から「仙台」って漢字に変更したそうです。どこに仙人がいたんだろう。やっぱ八木山当たりかな……
…という感じに
にわか歴史オタクながらもなかなかエンジョイしました。展示がどれも面白くて楽しかったです。でも5スペースに分かれててかなり広いので想像以上に時間食います。これから行く人ガンバッテ。
あとね~初心者は瑞巌寺行ってから展示見に行くと話が繋がるところが多くて面白いかも。実はこの1週間前に瑞巌寺行って、愛姫とか五郎八姫とか基本の知識を叩き込んでいたんですよ。それが展示物の理解にちょこちょこ役立ったかなあ。あとは秀吉と政宗の絡みが結構多かったので、やはり勢力図みたいなのを事前にさっと眺めておくと良いと思います。
個人的な話だけど、友人と「今回は伊達政宗生誕450周年だけど、500周年のときは展示見られるかなあ」って話したことも印象に残りました。恐らくこんな大規模な企画展はこの先50年無いだろうからぜひ見に行って!はい!いますぐ!公式サイトにクーポンもあるからよろしく!!!